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愛の講座無料体験講座を終えて

先日、愛の講座無料体験にご参加いただいた皆さまありがとうございます。

ウダラです。その後はいかがですか。あの場で言いそびれてしまったのですが、当日のワーク後に出て来た反応や何らかの変化を感じている、質問等があれば、遠慮せずにぜひ、コンタクトしてください。

愛の講座無料体験のあと、みなさんに色々な化学反応が起きているだろうなと感じつつ、あの日の翌朝、私に起きたことや、後半にはラサールからのメッセージもシェアしたいと思います。


身体が起こす現実は、いつもアートのようだなぁと思います。愛の講座がオンラインになったこともあり、一緒の空間でワークをする人数が今までの最高人数を超えました。 距離を超えて、多くの方々とエネルギーを共有しあえたことに心から感謝です。


私(ウダラ)の体験談

私はあの日の翌日、朝のボディエクササイズをしていたら、これまで繋がっていなかった回路、左肩と腕、左の胸骨をつなぐエネルギーの新しい道が開けた感覚がありました。


感覚に気づきを持つと、三次元にある身体にも変化が起き、その変化と同調して三次元の日常生活にも、明確に変化が起きて来ます。私は朝から、新しい何かが向こうからやってくるのではと期待していました。

ところが身体に起きた心地よい変化とは裏腹に、その日の朝、夫とのコミュニケーションのすれ違いで不快な体験をしました。愛あるコミュニケーションを日常生活で実現したいのに。まるで意図していることとは正反対のことが起きたかのようでした。


身体のエネルギーを活性化すると、現実は必ず変化しています。ところがそこで起きる出来事を「結局、何も変わらないじゃん。」と解釈してしまうと本当の意味での変化を見逃してしまうことがあります。


その出来事によって受けた感覚が不快なものであれば尚更です。ここで言う不快な感覚は、怒りや悲しみとも呼べない感覚で繊細な身体の緊張やこわばりが解放されることによって起こることがあります。


不快な感覚を感じると頭はこんな風に事態を丸くおさめようとします。

・少しぐらい違和感を感じても、敢えて検討しない選択をする、

・不快な感覚に気づかないフリをして諦める、

・不満な生活を妥協して受け入れる、

・細かいことにはこだわらない温和に過ごすなど


それらは一見、快適に過ごすために最適な選択のように見えますが、巧妙な嘘であり、内側にある自分の感覚とつながっていることにはなりません。


不快な感覚だったとしてもその変化を丁寧に観察していくことで、目の前の現実に対していつものように反応してストレスを感じるか、新しい選択で対応するのか、それが選択可能になります。


普段は、何か問題があるとそれらを解決しようする思考が常に働きます。ストレスを感じずに日常生活を過ごす方法はいくらでもあるじゃない。と内側に起きていることに耳を傾けずに外側の環境を変えたりするのも愛の探究を避けるパターンです。


私の場合、彼との関係が機能しないとき、

私は日本人で彼はイタリア人だから。

私は女性で彼は男性だから。

私は感覚派で彼は頭脳派だからと

うまくコミュニケーションが取れない言い訳が頭の中にいっぱい出てきます。そしてそれはまるで真実であるかのように見えます。


あの日の朝は、これはいつものパターンだとわかったと同時に、その感覚を起こす姿勢が固定化して催眠術のように動けずにいるんだと言うことに気づきました。そうなんです。


私たちは無意識に自分の感覚に催眠をかけてしまっています。それは本当に頑なで、意志よりも強く身体の内側で固まって塊のようになっています。 これが、頭ではわかっているけど何故か動けないの正体です。


さて、私に起きた体験の続きですが、催眠術にかかったように変われない感覚を感じているその時に左肩の緊張にふと意識が向きました。常に左肩を緊張させているその感覚、身体の奥底、骨の髄にまで染み込んでしまっているこの姿勢、視線、態度。


「自分には何が起きているのか」に意識を向けると左肩にある小さなこわばりとそこから口元の歪みを自覚できました。目の前では、すでにすっかり機嫌が直っている夫の笑っている顔を見て、頭の中に出てくるのは、何故か「バカにすんな。」「笑ってたまるか。」って言う意固地な反応。


そこにある身体の感覚をただ感じ続けていると、何とか現実に戻って笑顔になろうとする自分も感じられてきます。内側にあるこの2つのバラバラな部分を同時に観察していると、笑うと言う目的ではなく、ただ口角を上げようとする第三の自分のようなものが出てきました。


口角を少しづつあげていくと、胸の奥からとてつもない悲しみと孤独な感覚が沸き上がってきました。その瞬間、私は、自分が高校生だった頃に憑依したかのようでした。憑依なんて変な表現かもしれませんが、過去の記憶が思い出されていると言うよりは、まさに高校生の時の私そのものになっている感覚でした。


「終わってる」って言う言葉と同時に、つまらなくて、孤独でどうにもならない感覚が左側の肩と肩甲骨の筋肉を圧迫していました。それをそのまま味わっていたら肩甲骨の裏側から心臓に向かって熱いエネルギーが身体中に広がるのを感じます。


講座のシェアの中で、私が今、向き合っている心の闇は、「緩やかな自殺」をしようとしていないか?と言うことだと話しましたが、この朝の体験を通して、それは明確に「死んでやる」という声へと変わり、さらにその感覚が自分の身体中に広がるのを体感しました。


私の左肩を強張らせ、緊張感と自信のなさを感じさせている染み付いた姿勢。高校時代に目立つことを避けるために知らずに取り込んだ真っ直ぐに生きない姿勢。真剣にやるなんてバカみたい。でも、

「そうかこの不快な感覚って、もともと私のものじゃないよね。」


瞑想して、心地よい感覚を味わう機会が増えると、不快な感覚は現在の自分のものではないと言う気づきも起きやすくなります。あの朝、不快感を味わったことで安心感と自信に満ちた感覚が蘇ってきました。ここまでが、あの日の翌朝、私に起きたことです。


もし私の感覚が間違っていなければ、無料体験に参加していただいた方のほとんどが愛と向き合うことに抵抗していたのではないかと思います。正直、愛の探究は、お手軽に素早く簡単に体験できるものではありません。


だからこそ、そこで得られる体験は、体感した人にしか本当の意味ではわからないプロセスが待っています。愛の分野の旅へ立つタイミングが「今だ」と感じている人は、これから4ヶ月間を様々な体験をご一緒できることとを楽しみにしています。


ラサール・マウロ・サンジョンからのメッセージ

人生の最も美しい部分とは何だろう、と考えたことはありますか? 自分の人生の目的とは何だろう、と考えたことはありますか? これらは時代遅れで、退屈な質問のようでもあります。

私たちは日ごろ、人間味のないライフスタイルにどっぷりと浸かってしまっていて、とにかく何かを「すること(Do)」に追われています。 また、どれだけ所有しているか、銀行口座にどれだけお金があるか(Have)によって、自分や他者をジャッジしています。


日常生活の中で何らかの選択をしなければならない時、”Do”、”Have”、”Be”の中の”Be”(自分が何者であるか)は疎かになってしまいがちです。 自分自身の価値観、知識、自己成長の深さや親密さ、自分の存在に対する愛着や自信、そして自分の存在を他者に純粋にオープンにすること… これらの大切さや価値は、日常生活の中で失われてしまっています。

だからこそ私は自分自身に問いかけます。 「自分の本質を見失い、いつも自分以外の誰かになることや何かを所有することばかりにしか目を向けていなかったとしたら、一体どんな幸せが得られるのだろうか?」と。

結局のところ、自分が何になるか、何を持っているかは、「自分が何者であるか(Be)」と関連づけなければ意味がありません。


そして、「自分が何者であるか(Be)」と、他者との人間関係の質とは、相互に影響しあっています。

愛の講座の体験会に多くの人が参加してくださり、とても嬉しかったです。 なぜなら、それは皆さんが自分自身を探究したいという欲求があることを意味しているからです。この探究は、人生を通じて行っていく長い道のりであり、仲間と一緒に行えば、より軽やかに、より効果的に、より楽しいプロセスになります。

愛の講座で、ご一緒できることを、すごく楽しみにしています。今回の愛の講座は「ダークサイド(心の闇)」をテーマにしています。「ダークサイド(心の闇)」とは、私たちの中に存在し、生きている部分である一方で、日ごろ向き合うのが怖かったり、恥ずかしかったり、ジャッジしてしまう部分です。


そして、より大きな生命エネルギーに転換していくための方法がつかめずにいる部分です。

一緒に探究し、一緒に成長し、一緒に楽しんで、そして、全てのブロックやパターンを超え、十全に、楽しく、幸せに生きていくために、ご参加をお待ちしています! See you soon, my friend! 愛の講座







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